中学生時代のボイコット事件で、自己肯定感爆下がりの私が自ら発信活動をする




どうも、りこぴん(@2Rikoko)です。

発信活動を少しずつ始めてきている私ですが、とにかく自己肯定感が低いことがネックになっていました。

ブログを書くにしてもこんな私が言うことではないんですが‥と、いらないマイナスな文を付け加えてしまったり、

SNSのプロフィール画像を自分の顔が見えづらいものを選んだり、

発信活動し始めても、自分をさらけ出すのが怖かったのです。

今まで自分の自己肯定感が低いことに全く気付いていなかったのですが、会社を辞めて、自分と向き合う時間が増えてようやく自分に自己肯定感が低いとわかってきたのです。

今回いなフリの「自分史発表」という機会を経て、自分の人生の分岐点を振り返り、人前で自分をさらけ出したことで完全に私の中で何かが変化しました。

・なんで自己肯定感が低くなったのか

・自分にどんな過去があって今に至るのか

思い切ってみなさんに共有しようと思います。

少しでも同じような思いをした人に届くと幸いです。

人見知りのしない年少時代

私は生まれてこのかた、人見知りがない性格でした。

大きくなってから親戚に合うたびに

「りこちゃんは本当に人見知りのしない子だったわ~」と言われることが多いです。

初めて会った人にもすぐに「抱っこ!」と言って、自分から抱っこされに行くくらい

図々しく人が好きだったようです。

そこからずっと幼稚園、小学校と年を重ねても人が好きなのは変わらず、みんなが集まって楽しそうにしているのを見ると羨ましくなって混ぜてもらうような子でした。

学級代表、リーダーをやるのが好きになる

小学校高学年くらいになると、自ら学級代表に挑戦したり、グループのリーダーに立候補して、

みんなが自分を頼りにしてくれる環境が好きになりました。

人前で話すのも得意ではなかったけれど、好きな方でした。

目立ったり、いじられたりすることが私にとって承認されていると感じていたんでしょう。

それが一気に嫌いなものになるなんてこの頃は思ってもみなかった。

「部長なんていらない」苦しかった中学の部活

 

私は中学時代ソフトボール部に所属していました。

コーチや監督に好かれ、気づけば中学2年生の代からいいとこ取りのポジションを任されていました。

先輩の最後の大会が終わって、私たちの代に引き継がれる瞬間に問題は起こりました。

「私たちの代に部長なんてイラナイ」

「部長がりこなら練習はいかない」

と、私以外の部員全員が言い始めたのです。

部員同士の妬みから生まれた闇

もともと1年生の時点で

「監督にひいきされてるからいいよね」

「何もしてなくても好かれるからいいよね」

と非難されることも多かったので、私は部員とはなるべく同じ目線に立って練習したり、同じ目線で監督の悪口を言ったりして空気を読んで過ごしてきました。しかし、どんなに気をつかっても、人の嫉妬や妬みは解消できなかったようです。(全然足りなかったのかも)

不満を爆発させた部員たちは一気に団結し、ついに練習をボイコットしました。

部員8人からの集中攻撃

部員は私を含め全員で9名。同学年メンバー私 VS 8人 の完全不利な状況。

ボイコットされた後はひたすら無視される毎日。

部員に練習の話を持ちかけても、無視されて陰で叩かれるという状況。

さすがにいつまでもこの状態ではいけない!!と、
やっとの想いで、みんなを集めてミーティングを行うまでこじつけましたが…

集まったところで、私以外の8人みんなで目を合わせながら笑ったり、ひたすら非難するだけでした。

さすがの私も感情的になり涙が出ると、それも非難されるという悪循環で心はボロボロです。

その後1ヶ月ほど、1対8の冷戦状態は続きました。

ボイコット事件がきっかけでストレス性胃腸炎を発症する

部員との冷戦最中、ふと廊下で会った部員の冷たい視線を感じた瞬間に吐き気を催し、

保健室で思い切り嘔吐しました。

ここで初めて、ストレス性胃腸炎を発症。

ストレス性胃腸炎とはその名の通り、ストレスによって胃が荒れ、自分の胃液でお腹を攻撃する病気です。胃に穴が空く危険性も潜んでいます。

大人になった社会人がストレスを抱えてなるのはありがちですが、中学生での発症はマレだと言われました。

注射を打って、薬を飲んで徐々に回復しましたが、その後も治りが遅く1ヶ月弱学校をお休みすることに。

復帰後もくしゃみや咳などの小さな身体の動作でお腹ピキッと痛む辛い日々が続きました。

それでも部員は「ただの仮病だ」「被害者ぶってやらしい」と陰で言うばかりでした。

グループの上に立つことを恐れるようになった

胃腸炎発症後、クラスの担任が私の異変に気付いて動いてくれたこともあり、「和解」という形で部は無事に復活しました。

(彼女らも「いじめ」なんて意識は全くなかったんだそう。どのいじめ問題も「いじめてる」という意識が全くないのが一般です。)

最後まで私はソフトボール部の「部長」を務めましたが、その事件があって以来は高校も大学も社会人になっても『リーダー』として自ら手を挙げることがなくなりました。

・グループの上に立つのが怖い

・周りの人たちにどう思われているか考えるのが怖い

と思うようになってから、私の自己肯定感が下がり始めたのです。

自信なくして、自分の興味を押し殺すのってもったいない

グループで手を挙げることをやめてから、自分の意見がどんどん発せなくなっている環境になっていました。

どうせこれを言ってもみんな良いって思わないだろう

企画なんてしても人が集まらないだろう

こんなマイナスな頭になって自分がちょっとでもやりたいと思ったことを自然と押し殺していたのです。

発信活動をし始めて、

「自分がどうありたいか」

「もともと自分がどんな人間で、どういる時が幸せなのか」

を考えて発信することで、

「あれ?私、怖がって閉じこもってたら人生勿体なくない?」

と思うようになりました。

ストッパーが外れたら自分で企画立ち上げるようになった

自信なくして、動けなくなってたらもったいないと思い始めてから

自ら企画を作って人を集めたり、人の前に立てるようになりました。

実際にいなフリ中に企画を呼びかけたのがこれです🔽


ラジオ体操企画は一週間続けて成功!みんなも朝早く集まってくれて、ちゃんと作業もできて、有意義な時間を企画で作ることができました!嬉しい!!!!!

毎朝ツイッターでライブ中継も行ってます♪

自分が企画して、みんなが集まってくれたり、自分のやりたいことがみんなのおかげでできるって本当に嬉しいことだと気づくことができました!

怖がらずに一歩踏み出すって大事です。

今まで自信がなくて動けなかったのはマジでもったいなかった。

自分のことを一番に愛せよ!

『自分は自分のことを絶対に裏切らないから、自分を一番愛した方が良くない?』

これはある人の言葉をもらってそのまま使ってます。

まさにその通りです。

自分の過去や、自分の中にある怖さに打ち勝てば、自分を一番に愛せるんだと気付きました。

こうして気づけたのも、SNSで発信活動をしたりいなフリで素直に自分をさらけ出せたからだと思います。

まとめ

過去の自分を振り返ってみて、

これからはどんどん自分からきになることがあれば手を上げていきたいし、

これからもっとイベントを企画、運営してみたい

周りの目を気にして、自分の興味を殺さないように生きていきたい!

今後も、自分なりに発信して、「自分」も「みんな」も好きになることが私の新しい目標です!

最後まで読んでいただいた方、ありがとうございます!

中学卒業後の私の分岐点はこちらの記事に書いております🔽


母がいつも言う「人生なるようになる」論は絶望から救う(私の絶望を暴露)




コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)